46 悪い夢

長く悪い夢をみていたが、もうすっかり忘れてしまった。ただ、分かるのは、それは偶然の悪夢ではないこと。私の中にずっと映っている現実だということ。今では、なぜだか、少し安心して捉えることができる。たくさんの仲間たちのおかげで。
あぁ、もしもし?
私がもう許されているのなら、一体どうしたらいいの?
もう追いかけなくてもいいし、追いかけられなくてもいいのなら、どのように存在していればいいの?
私は急に宙に放り出される。
そこには無限の自由があるとしても、どのように飛びまわり、どのように舞えばいいのか、一切合切がわからないの。
昨日、今まではずっと馴染みだった、例のエネルギーのことが、なんだか遠く感じられたの。
それは、なんだか追い詰められたような、ずっと痛いような、それでももっと痛くありたいような、恍惚とするような、怒っているような、急いでいるような、責めているような、そんなエネルギー。そして、本当に思っていることとは、違うことをずっとやっている。変なたとえだが、右腕が折れているとして、痛むとして、そのことを一切無視し、治すことを拒絶したうえで、左腕の健康と筋力増強に励み、その左腕で誰かに勝つことを求めつづけている。あなたがケアするのは逆の腕だろうと。そう思う。
ところで、悪いことをしたら反省して、学びにしようねと、そして成長していこうねと、こういう道徳は人類にとって必要不可欠だと思うが、それだけで片付くことなんだろうか? 悪いことをしてしまったから反省する。改善する。よくない感情は卒業していく。そんなに単純なことだとは感じない。
私が気丈になり、経験から学び、経験を愛し、ときどき悪いこともしてしまうような自分をも愛することは、悪の肯定なの? 改心するとは、反省が終了したとはなんなのか。「負い目」があるうちは、それは終わっていないと思う。特別な思い入れがあるうちは。