82 物との関係について、自分語り

過去や嫌なことに対して、色々思考の末に落とし所をつけて、それで自分と仲良くなれたつもりでいた。まぁ、そこそこは仲良くなれたかもしれない。それでも身の回りのものがずっと突き刺さって痛かった。何より、「何が自分にとって痛いのか」が分からなかった。原因不明の痛みばかりだった。私は自分のやりたいことがわからないのか? 好きなことがわからないのか? 好きでもなくやりがいもなく賃金にも見合わないような仕事をすることが嫌なのか? 思ってもいないことを言ったり相槌をうったりするのが嫌なのか? そう思いたいのなら、そうなんだろう。でも本当にそうかな…。
ともかく私の「不具合」はすぐそばにあるものを受け止められないことだった。どんな部屋で寝ても布団が受け入れられない、どんな服を着ても落ち着けない、じゃあ着なかったとしても、身体が他人のようで落ち着かない。どんな美味しいものを食べても、あなたのことが好きだと言われても。
みんな攻撃してくるか、その可能性があるものだと思った。そういうふうに自分が「誤作動」し続けているのをどうしたらいいか分からなかった。気を紛らわしてやっていくしかないと思ったし、これから先、なんとか気を紛らわすことに多量のエネルギーを使い続け、ろくなパフォーマンスができずに生きていくしかないのだと思った。
さて今いるこの空間は私に優しいのだろうか? 安心してねと言っているだろうか? 落ち着いていいよと言っているだろうか?
肝心なことは、物や空間は意図的に私に干渉してきたりしないで、いつでも中立でいてくれるということだ。物は観測する人がいて初めて意味づけされる。私が感じていた物たちは私がそう観測したからこそその通りに攻撃してきた。だから四方八方からあんなにも痛かった。
じゃあ実際のところ、衣服は私に優しいのか? と。それはわからない。衣服は優しさという意思など持たないと思う。ただ、優しいなぁ、と観測し始めることで周りの時空が歪み、波動が変わり、世界線が変わると。
私は観測することしかできないのだけど、私が本当に苦しさがなく、本当の心地いい位置に戻っていったとき、世界をどのように観測するのか。それがハイヤーセルフの個性ってやつなのかもしれない。
今もう少し優しくしてほしい。そんなふうに思うと、そんなふうに接してくれている気がする。ここにある少しの物と接するだけでいい。お茶とか、ぬいぐるみとか、蝋燭の火とかでもじゅうぶん優しくしてくれると思う。それ以外のごちゃごちゃしたことは、どうでもいい。