164 非物質科学

科学の進歩と、目に見えない世界の解明との間には相互関係があります。

今、この時代では、目に見えない世界の話をすればするほど、非科学的だと考えられてしまいますが、目に見えないエネルギーを、科学として用いる時代がやってきます。今はオカルトとしか思われていない力を、電気のように多くの人が当たり前に使うようになるわけです。

ここで、大事なのは、目に見えない世界を信じていることと、道徳や良心や敬虔や信仰は別だということです。

霊を信じる人々と、神を信じる人々は、今は同じような顔ぶれでしょうけれど、本当はその二つは本質的に違います。信仰を語るときに、唯物論は、論外です。でも、唯物論ではない、ということだけでは信仰には結びつきません。

非物質的なものを、科学として営利的に用いることが広まってくれば、唯物論は、天動説のように、この世から駆逐されるでしょう。その後は、それで終わりではなく、人間と神とはどう違うのかという、信仰の課題が人類の前に立ちはだかります。医療の進歩というものが、神の作った人間の身体の秘密の解明でもあるように、目に見えない世界の神秘が、人間の手で解明されていったとき、神の世界の秘密を含んだ、高度な科学に満足しきった人間は、慢心します。自分たち人間の、神秘の完璧さと、精妙さ、そしてその一部を解明したことに慢心します。

進歩した結果、どうなっていくかが問題です。「この世界のバランスを鑑みたとき、科学の進歩は、しないほうがマシだった。」と、神から判断されるようであれば、その時、文明は頭打ちです。