107 20220603 日記

強情すぎると言われるとしても仕方ありません。それでも私は私になりたいのです。誰かを傷つけたり、雑に生きてきてしまったことが、もし、良くないことならば、謝ります。そう、誰だって行く先は怖いのです。色々なことを悩んで、相談して、リスクを少ない方をとったり、我慢をしたり、何かをコツコツと積み重ねたり、必死に生きているのです。それを馬鹿にしていたのかもしれないんです。そしてふと、貢献とは何なのか、と、思うんです。人により多くを施せる人のことを光と言うのではないですか。私が何かを知っているからってそれだけでは何でもないではないですか。それなのになぜ余計なことばかり知っているのでしょう。こんなにわからないことばかりでどうしたらいいのでしょう。私だってきっと行く先は怖いのです。ただ、怖いと感じるようになったことは新鮮なことでもあります。今までそんなことすら考えられなかったからです。生きられなくなるのが怖いのは、生きる気があるからでしょう。私が怖いと思うとき、それは、生きる気を感じているということでもあるんです。自分の感覚が、どこまで、誰かと共有できるものなのか、推し量ることは難しい。もう諦めるときが来ているのかもしれません。理解されなくていいとかではなく、理解されているのかどうかを確認したい気持ちを、もう諦めなければならないのかもしれません。そして自分が感じていることについてもっと真剣にならないといけないのかもしれません。既に真剣すぎるという気もしますが。