59 え、宇宙に意味ってないの?

今日は、思いつきで、いつもとは違う様子で書きたくなったので、やってみますね。


私は、中村咲太くん(『さん』より、『くん』って感じだと思う)と、彼の発信していることばが好きです。

彼のよく言っていることのひとつに「宇宙には意味なんてないんだよ」というのがあります。

これを聞いたとき、結構衝撃を受けました。

だって、私が、人生で叩き込まれて(自分に叩き込んで)きたことといえば、

人は、使命を果たすために生まれてくるのだ。
人の役に立つために努力するのだ。
地球は修行のためにあるのだ。
宇宙はどんどん発展・拡大していく。そのために尽力するのだ。
宇宙に愛を広げるのだ。

こういう価値観だったから。

今でも、こういう考え方を自分の一部には持っていますが、
それと同時に、「意味がない」のも、両立して成立する事実だと感じます。

「意味がない」というと、
表面的には、無気力で虚無的に捉えてしまいそうですが、ほんとうはその逆で、
これは、宇宙のすべての土台にある、「究極の安心」の根拠である、というイメージです。


意味がないのにも関わらず、やりたくなることとか、
気がついたらやっているようなことには、
自分自身の存在が投影されます。

あなたが小さい子供だとして、
目の前に積み木がある。
この積み木でどう遊ぶか、それとも何もしないか、
それはあなたに任されたことですが、
何にしろ、「なんとなく」やることなので、大した意味はありません。
意味がないからこそ、あなたがどうするかということに、あなた自身の存在由来の個性が反映され、
宇宙が色とりどりの多様性の世界になります。

それから、「意味がない」からこそ、意味を作ってもまた、構わない。
生きていく意味とか、大義名分とか、作りたければ作って頑張って生きればいいし、それも楽しい。
何をすることも出来るのですが、結局、「意味がない」という前提が、母体としてすべてを包み込んでくれます。

ふと、
「そういや、意味なかったんだ」
ということを思い出してみると、
柔らかな土を踏むように、
優しいグラウンディングの力が自分に働くのを感じます。

意味ないなら、
何をやっても、
楽しいよねぇ。

読んでくれてありがとう。