17 20210131 順番

練習ができること、試されていることもすごく愛されている証だと感じられますか。何も起こらないこと、何もできないこと、うまくいかないこと、そんな日でもそれ自体奇跡的なことだと感じられますか。何ができなくても、息をしているだけで幸福と思えますか。何も起こらない日に感謝できますか。そういうベースが不安定なのに、その上に色々乗せようとしても虚しいと思いませんか。確かに、基本的幸福感以外にも大切なことはたくさんあって、尊い行為も、できる努力もたくさんある。それでも、最初の感謝ベースがまだ身につけられていないのに、あれもこれもと思ってばかりいては、足りない気持ちが増すばかりで、本末転倒になってしまいませんか。最初にもっと大事なことがあるのを無視してあれこれがんばっても、うまくいかないということにやがて気づくでしょう。
生きていること自体への幸せは、存在していること自体への幸せ。
存在していること自体への幸せは、創造されたこと自体への幸せ。
創造されたこと自体への幸せは、創造主への感謝になります。
基本的人権とか、よくいいますが、基本的な、人間としての基盤は、生きていることそのものへの幸福感にあたる。それが保証されないまま、あれこれやっても、うまくいかない。そして、この基本的幸福は、何かがないと満たされないようなものではないということ。
過酷な状況では、それが難しいということも、神はわかってくださっているが、基礎ができていないと思うなら、それを第一に「建設」しようとしたほうが、いいのではないかなということ。