63 「この先どうなるかわからない」と思うとき。

 

疫病だとか、災害だとか、環境問題だとか、不況だとか、高齢化だとか。

 

挙げていけばきりがない。

 

戦争や、貧困がなくなれば、

人々に不安がなくなるわけではないから。

 

どんな時代にも、その時それぞれ、

社会問題があって、不安要素があって、

 

未来が幸福だと、保証されている時代など一度もなかった。

だから、

人間は、いつでも、いくらでも、不安になることができる。

人間は、運命を自分で変えられる自由と同時に、

いくらでも不安になる自由を持っている。

 

 

今日も聴こえる。

ざわざわ。ざわざわ。

さざ波のように。

 

灰色の砂の集まり。

小さな不安の粒子の流れ。

 

「この先どうなるかわからない」

そんな感情の波。

 

だけど本当に?

本当にわからないのか?

 

少し静かにして。

ひと呼吸して。

 

わからないことなど、あるものか。

 

わからないわけがないでしょう。

 

わからないでは、

あまりにも…。

 

 

ねぇ、わたしは、あなたが決めた方向に、あなたが流れていくということを、

くり返し、くり返し、つぶやいてきたけれど、

 

それでもまだ、

 

わからないなどと、言えるというのか。

 

放棄するんじゃない。

あなたの最大の自由と責任を。

あなたの宝物の力を。

 

「この先、大変な時代になるであろう」

と、言われて、

それはそうかもしれないが、

勘違いをしてはいけない。

 

「大変な時代」になったところで、

「自分が、不幸な状態になるかもしれない」

ということではない。

 

騒がしいのは、外部の話。

不安だらけなのも、外部の話。

 

追随しろとは誰も言っていない。

 

もし、追随するなら、

それは、あなたが、

あなたの自由を行使して、

あなたの意志で、

 

「世の中」というやつの不安な雰囲気に、

付いていっているに過ぎない。

 

何度でも、

何度でも、

確認してください。

 

あなたの未来がどうなるか、

わからないわけないでしょう。

 

それはあなたが歩いていく方角にあるからです。

 

誰のせいにもなりませんよ。

 

Dear,

 

愛しているから、

あなたと一緒に歩きたい。

 

どうか手を取ってくださいね。

 

ありがとうございます。