111 貴方のぜんぶが分かるよ。


理解しているのはあたりまえ。
つまり、理解が愛というのなら、愛しているのはあたりまえ。
それは無限だし、最低条件もなし。
その素晴らしさと思想を理解しているからこそ、
どうにかして、この世界に変換させたい。
あなたが、言葉や、なにかの表現という道具を、使おうとしないで、出し惜しむことこそ、してほしくない。
もちろん、うまく変換したといって、
本当のところが理解されることはないかもしれないし、
それにこだわるのも違うと思う。
そうではなくて、
うまく変換できたかどうか?は、自分で分かることなので、研ぎ澄ませていくこと。
「いけないんじゃないか」と、思うと、何も出なくなってしまう。
ていうか、いけない、とは、なんなんだ?
何がどういけないんだ?と。

もしかして、目的意識がすり替わることがいけないのか?と。
それを「正しくなくなる」と言ってもいいかもしれないけれども。
と、いうか、
それが怖いなら、日々、確認したらよろしい。
忘れないようにするために、メモをとることがあるでしょう。
メモをとらないでいるのに、「忘れたらどうしよう、忘れないようにしよう、怖い怖い」と、騒ぐ人はいないでしょう。
大事なことは、スケジュールにかいたり、紙にかいたりするでしょう。
誰でもすることだし、それを記憶力がなくて無能だなどと思う人もいないでしょう。
あなたが、いつも「なんだっけ」と不安になるのは、そういうことなので。
誰でも、気が散っていったら、うっかりすることはあるでしょうけど、
確認したらよろしい。
色んなメソッドも祈りも、そういう風に使う意味合いもあるわけで。
そのほうが色々とやりやすくなるんじゃないかと思いますよ。