102 20220520

今朝の会議。
洩らしていると思っている自分の中身と、外からの認識。

たとえば同じような簡単な料理をを同じ手順で作っても、作る人によって味が変わる。少なくとも宗教人ならば少しくらいはそういうツモリで生きていると信じている。俺の中身は洩れている、あいつからもこいつからも視えている、と。
味覚には差があるから、香りの明らかなスパイスを加えても、気が付かない人もいる。気がつくかどうかは実はどうでもいい。めちゃくちゃ苦いけど身体にいい粉、気がつかなくて食べられたほうがいいってこともある。
認識したかにかかわらず、取り入れたものは身体に作用する。
そのつもりで他人に接したいと思っている。
つもり、くらいだとしても。
生み出すものや触るものには「作用」が入る。
なんの仕事でもアートワークでも同じ。
技術的にめちゃくちゃな絵だとしても、描いた人の「粒子」がよければプラスの作用をする。
ただ、多くの人にとっては、パッと見て「あぁ、良いものが身体に入ってきた」みたいにはならないかもしれない。だから技術をあげてそれなりに魅せる。ほとんどの人はそう過敏に感覚が開いていない、それに、これから先も開く必要もない。
逆のことも言える。見栄えだけがんばると、あの映画の女の子みたいに悲しいことになる。



やることなすこと接する人に
目に見えない薬をいれる。

薬といっても治療ではないの
もうすでにすばらしいものを
もっとツヤツヤにする。

そのために祈るのでしょうが、
粒子を身体に入れるのでしょうが、
まだ、怖いパパやママからの指令だと亡霊を見ているのか、
あぁ、そんなに指令がしたいんだ、
何が祈りなんでしょうか、
今までの馴染みのことが、みんな古くさくって嫌になってきて。

材料が全部あるけど、整理できないから、
ほどいているし結んでいるし並べ直しているし。

片付けはどうも苦手で。

とりあえず、窓を開けて、空気を良くして、光を入れて、そこから始まって、夜になったら寝ちゃえばいい、そのうちまた明るくなるから。