138 ここが私の星。

 

ささやかに、ささやかに、

水面下で育まれているなにか。

あたためているなにか。

 

そういうものが必ず外に染み出てくることを信じているわけです。

「今はまだ何でもない」と、思ってばかりでいてはいけませんね。

私はとっくになにかになっていて、とっくになにかを得ています。

人はそこにいるだけで、なにかであるはずなんです。

 

だから、将来いつか、なにかが実りますように、と、

遠くに放り投げてばかりいてはいけない。

 

今ここに確実にあるもの。

すべてはここで起こっていること。

 

この前も言ったけれども、

ここが私の星であり、私はどこか遠くに帰ることを夢みる羊ではないということです。

 

それをもっと信じられれば、自分が集まってきます。

散り散りの自分が戻ってきて、もっと血がかよいます。

 

その違和感の正体は「留守」なことです。

あなたになにかを伝えても、その時にはほんとうには聞こえておらず、耳から、言葉の記号としてのみキャッチされて、どこかに収納されるだけになっています。

「留守番メッセージ」に入るだけになっています。

だから、その時すぐには感情が出てこなかったり、ピンと来なかったり、受け止められなかったりするんです。

これは主人が出かけたままになっているからで、ある意味、

忠実というか当たり前に、正しく「留守電」がはたらいているんですよね。

「今、ちょっと主人がいないので、わかりません」と。

 

主人があまりにも戻ってこないと、たまに帰還したときでさえ、溜まった伝言の多さににパニックになって、またどっかに出て行ってしまうかもしれません。

今の時代、そういうふうにパンクしている子が多いんでしょう。

 

今まさにいてほしいと思うときに主人がいないと不安になります。

どうしたらいいんだろうと、決定ができなくなります。

 

空き家状態が続いていると家屋はボロボロになっていきますから、

主人が帰ってきて安心できるところにするために、手を入れていくようにしたいものです。

ここが私の星であり、ここが私の住みかなんです。